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 久保田万太郎(1889-1963)の最初の童話劇集であるとともに日本で編まれた初めての童話劇集として記念すべき1冊である。慶応大学在学中に小説「朝顔」と戯曲「プロローグ」で学生作家としてデビューし、『赤い鳥』にもいくつかの童話を発表していた彼は、鈴木三重吉に勧められて童話劇を手がけることになった。『赤い鳥』には全部で44編の童話劇が載ったが、彼の作品はこのうちの23編を占める。彼は『赤い鳥』だけではなく、大正期を代表する童話劇作家となったのである。
 『赤い鳥』創刊から3年後の1920年11月、鈴木三重吉は同誌に発表された作品を作家ごとにまとめた「赤い鳥の本」の刊行を開始し、1923年の関東大震災までに13冊を出した。『ふくろと子供』はこの叢書の第5冊目にあたる。この美しい小型本シリーズは、多くの文壇作家を動員して可能となった『赤い鳥』の成果をより確かな形にまとめたものである。その後、「赤い鳥叢書」と改称されてさらに10冊が刊行される予定であったが、久保田万太郎の2冊目の童話劇集『おもちゃの裁判』(1925年)と豊島与志雄の童話集『夢の卵』(1927)の2冊だけで終わった。
 『ふくろと子供』に収められた6作品のうち、「ふくろと子供」(原題「ブロオニイ」)、「年あらそい」(後に改作・改題されて「一を十二倍するのと十二を一倍するのと」、さらに「一に十二をかけるのと十二に一をかけるのと」となった)、「ロビンのおじいさま」、「グリュック物語」は『赤い鳥』に発表されたものである。久保田の童話劇はどれも海外の作品からヒントを得て書かれたと思われるものだが、この理由としては、「外国だねの児童劇では、イメージが広がり、会話はのびやかでダイナミックになり、ドラマとしての骨太な骨格をつくりやすい」(冨田博之)ことが挙げられる。「ふくろと子供」と「年あらそい」はその後も多くの童話劇集に収録されており、「『北風』のくれたテーブルかけ」などとともに久保田の代表的な作品とみなされている。1969年にほるぷ出版から復刻版が出た。

[解題・書誌作成担当] 尾崎るみ