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 島崎藤村(1872-1943)の「少年読本」シリーズの第一童話集にあたる。藤村は1913年、長編童話『眼鏡』(実業之日本社)を出したが、それは出版社の依頼に基づくものであった。ところが本書は藤村自らの意思で執筆したもので、したがって実質的には、こちらの方が藤村童話の出発点としての意味を持つ。鈴木三重吉は『少年文学集―現代日本文学全集(33)』1928)の「叙」において、「島崎藤村氏が西洋での見聞を語る純芸術的な読物『幼きものに』を出版されたなぞが機運を作り、大正七年に童話童謡の雑誌『赤い鳥』が創刊された」と述べている。
 「仏蘭西土産」というサブタイトルの示す通り、藤村は1913年から3年間、子ども4人を預け渡仏した。その折に遠き日本に残した子どもたちに聞かせたい土産話としてこの童話集をまとめた。77編の短編童話のうち、11編がフランス・ロシアなどからの再話の形式をとっている。3年後、同じように子どもに聞かせるスタイルをとりながら、藤村の幼き頃を語る形式で、本書の姉妹本にあたる『ふるさと』(実業之日本社、1920)を、竹久夢二の挿絵・装幀で出版した。両作品は最初の全集『藤村全集』(藤村全集刊行会、1922)の第10巻に収録された。しかし、最初の童話「眼鏡」は藤村の意志で収めなかった。
 本書はたいへんよく読まれ版を重ねた。挿絵入り、「仏蘭西土産」と副題のついたものは、第26版(1923.03.30)まで確認できる。のち『幼きものに』『ふるさと』の両書は、改版が出たが(時期不明)、その際、「仏蘭西土産」の副題や1ページ分使用の挿絵ははずされた。大きさも一回り小さい16.5×10pというコンパクトサイズに変更され、「改版少年の読本」として刊行された。重版されるうちに再び「改版」は削られ、初版のままで重版がなされた形となった。この改版は第56版(1931)が確認でき、いかに読まれたかを知ることができる。

[解題・書誌作成担当] 森井弘子