表紙 本文 挿絵

(画像をクリックすると大きな画像をご覧いただけます)
 鈴木三重吉(1882〜1936)にとってはじめての世界童話集にあたる。
『鈴木三重吉全作集』(1915〜16)13巻を出した三重吉は、この全集で多大の負債をかかえた。そこで、それを補うため、予てから構想のあったお伽噺集の発行に着手した。最初は、50冊を出す予定であったが、出版社との折り合いがつかなかったのか、1冊だけの出版に終わった。それが本書である。小野小峡は「読売新聞」(1917.3.1〜3.2)でかなりの紙面を割いて本書を好意をもってとりあげた。この好評に気をよくしたのか春陽堂は「世界童話集」全20編(1917〜1923)の刊行に乗り出した。
「湖水の女」を執筆するにあたり三重吉は、「平易な純な口語」で「単純に書かうと努力した」文体は、小野から「今までこれほど上品に書かれた文章はない」と高い評価を得た。イギリス・イタリア・ロシアの伝説の再話にふさわしかったのは三重吉の文体によるところが大きかったが、それに加え、水島爾保布の西洋風の斬新な画もあった。『湖水の女』をはじめとする世界童話集を刊行したことが、「赤い鳥」創刊への足がかりとなったと三重吉は言う(『現代日本文学全集(33)』1928)。また、「童話といふ言葉は…私が作り出した」と言う割には、序で「お伽噺」の言葉を使用するなど用語は混在しており、お伽噺から童話への移行期であったことも垣間見ることができる。
 1929年5月、同じ春陽堂から「世界童話」が刊行され、『湖水の女』は第2集として出版、表紙・函とも当時『赤い鳥』で活躍中だった清水良雄が担当して、一新された形となった。また標題作は三重吉生前中、『世界童話集(11)』(春陽堂、1918)や『世界童話宝玉集』(冨山房、1919)に、また『春陽堂少年文庫(49)』(1932)にも収録された。1971年ほるぷ出版より復刻版が出た。

[解題・書誌作成担当] 森井弘子