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 愛子叢書第3編として出されたもの。この叢書は、当時『日本少年』の編集担当の東草水と有本芳水が博文館の「少年文学」叢書にヒントを得て企画された。よって挿絵画家も『日本少年』の表紙絵を交互に担当した川端龍子が第2編の『小さな鳩』を、そして本書はもう一方の挿絵画家の竹久夢二であった。
 当時の文壇作家は、小説のほかに1作くらいは児童文学作品を書いている。殊に立志伝などが目立つ。その中にあって、愛子叢書に関わった藤村・花袋、そして本書を執筆した徳田秋声(1872〜1943)といった自然主義作家は、近代生活という新風を持ち込んだ。自己の幼き頃の経験を、古きよき時代の日本の田園風景と共に、子どもたちに語り聞かせる描写は「自立型・人生型を樹立した」(瀬沼茂樹)といわれる所以であろう。事実、その、主人公・友吉が物心ついたあたりから11歳という少年期までの家族の中での心理の葛藤と共に当時の生活風情が表現されている。『少女の友』(1913.2)に掲載された愛子叢書の宣伝広告によると「第三篇としては 強い子弱い子 徳田秋声作」とあり、題目が変更されていることがうかがえる。友吉という設定を考えたとき、強い子と弱い子が混在する少年の心の二つの葛藤を描こうとしたものであったのか。そして書名が「めぐりあひ」に変更されたのは、おそらく長く離れ離れになっていた母との再会を果たした主人公の成長であり、また幼馴染との再会による人生のめぐり合わせともかけた作品名となったからであろうか。少年小説でありながら家庭小説ともとることができ、酒に負けてしまう父と決別して生きていかねばならないという、どこまでも暗くつらく悲しいこのストーリイに大正ロマンの夢二の絵が郷愁を誘う。
 9年後の1922年4月に改定版が出、さらに数ヶ月のうちに版を重ねるという好評さであった。改定版の装幀は、叢書全5冊とも竹久夢二で統一し、箱入りジャケット付きであった。本書は1974年ほるぷ出版より復刻が出た。

[解題・書誌作成担当] 森井弘子