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 本書はFrances Hodgson Burnettの世界的ベストセラー、"Little Lord Fauntleroy" を翻訳したものである。原作が単行本となった1886年からわずか4年後、1890年8月に『女学雑誌』での連載が開始された。当初は、「小説」欄に掲載されていたが、出産と病のために連載は一時中断され、1891年5月に再開された際には、「児籃」欄へ移された。同年1月に巌谷小波の『こがね丸』を第一編とする少年文学叢書が博文館から刊行されており、子どもの読み物への関心が高まりつつあった社会状況が掲載欄の移行と深くかかわっていると思われる。原作の第6章(全15章)までの翻訳は1891年10月に『小公子 前編』として女学雑誌社から刊行されたが、残りの部分は若松賤子(1864〜1896)の存命中には出版されなかった。後編出版のための準備は行われていたようだが、筺底にあったその原稿は、明治女学校の火災で焼失したという。本書は、彼女の没後に巌本善治夫妻と親交が深かった桜井鴎村が校訂したものである。
 鴎村が行った校訂のうち、もっとも目に付くものは、章立てを原作と全く同じに整えたことである。初出誌では全体で第16回までとなっていたが、これを改めて第15回で完結するようにした。また、変体がなの使用をやめ、「おとつさん」「おつかさん」の表記を「おとツさん」「おツかさん」とするなど、促音「つ」をカタカナに、「〜升た」「〜升」などの文末表現を「〜ました」「〜ます」に表記を改めている。
 『小公子 前編』の反響は大きく、特に当時の代表的な翻訳者、森田思軒が賤子の言文一致体による翻訳を絶賛したことからその評価はより高まった。彼女の「自序」もまた、新しい児童観を表出したものとして注目された。このような背景のもとに刊行された本書は、またたく間に版を重ね、大正期に入っても重版は続いた。1927年に岩波文庫版が刊行されるまで本書の人気は衰えなかったものと思われる。総ルビの本文は子どもでも読めるものではあるが、緒言や評言集などを備えた造本や巻末の書籍広告などからみて、本書の読者対象はむしろ大人であったと考えられる。

[解題・書誌作成担当] 尾崎るみ