表紙と函 本文 挿絵

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 全2編、各編5話収録、本書はその第1編。漂流した人物の記録をまとめて、子ども向けに紹介した最初のもので、本格的な子ども向けノンフィクションを開拓した作品のひとつ。版元の学齢館は、石井民司(筆名・研堂)(1865〜1943)がかかわっていた雑誌『小国民』の発行元である。
 第2編も第1編と同様の造本で134頁。色刷木版口絵3葉。収録されているのは、「常人安南に漂流し同胞に邂逅して帰国す」「遠人無人島に漂流し新漂船を得て帰国す」「薩人支那に漂流し商船に便乗して帰国す」「奥人支那に漂流し商船に便乗して帰国す」「勢人魯西亜に漂流し十二年を経て帰国す」で、永洗等の挿絵がある。
 漂流譚をもとにしたノンフィクションは、児童文学のひとつの流れとして、明治以後現代に至るまで絶えることなく書かれているが、それらの源流に位置する作品といえよう。また、フィクションとしての漂流譚を招来した契機のひとつとみることも可能である。研堂自身、「少年魯敏孫」(『少年世界』1900)の創作がある。
 人々が漂流譚にほとんど無関心だった時代に、研堂がいちはやく目をむけたのは、「海事ニ於テハ英国ノ幼童ニダモ之レ如カズ」(「自序」)という当代の状況に危惧し、かつては、「我国民ノ天性海事ニ怯ナラザル」ものだったことを知らしめたいとの思いからであった。要するに「児童に海事を知らしめ国民教育の一助」(「例言」)として、海国日本を鼓舞するところにあった。そのため、研堂の漂流記に寄せる思いは強く、のちに大人向けにも『漂流奇談全集』(1900)『異国漂流奇譚集』(1927)などを出している。
 ノンフィクションとしては、理科的な性向の強かった研堂らしく、「つとめて事実を直写するを主とし敢て妄りに推測語を下さず」(「例言」)というように、科学的態度に基づいている。
 批評は好意的だったが、売行きは芳しくなかったようである。その理由に時期尚早だったという指摘(瀬田貞二『名著/複刻|日本児童文学館第二集解説』)があるが、同時代の子ども向けの図書の中では高価であったし、地味な和装本という造本なども影響したのかもしれない。1974年にほるぷ出版から復刻版が出た。

[解題・書誌作成担当] 藤本芳則