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 博文館の幼年文学叢書の第一編。少年文学叢書で成功をおさめた博文館が、それより低年齢向けの読者を対象に企画したもの。同時代にはほとんど評価されず、二編目の『猿蟹後日譚』(巌谷小波)を出しただけで中絶した。その理由は、二編とも造本が江戸期の草双紙そのままの木版であることや、文語体による昔話の後日譚だが、難解な語句や内容に難があり幼年向けの作品としては不適切だったからといわれる。  鬼が島では、宝物を奪った桃太郎を征伐しようとの気運が盛り上がっている。そんなおり、城門の衛司だった鬼が川で苦桃を拾う。桃からは恐ろしい青鬼が出現する。鬼夫婦は、苦桃太郎と名付けて、桃太郎退治を説く。苦桃太郎は、毒龍、大狒、狼を家来に、龍の呼んだ雲に乗って日本を目指すが、速すぎて行きつ戻りつするうち、龍の神通力が薄れて、家来が下界に落ちる。それが原因で龍と苦桃太郎の喧嘩となり、龍が敗ける。と同時に、雲もなくなり苦桃太郎は、海へドボン、という内容である。黍団子のかわりに髑髏、家来に毒龍等と、ユーモアというより悪趣味の印象が強い。  しかし幼年向けの物語叢書の最初として意義があり、さらには、毎ページに絵のあることや凝った造本、絵の丁寧さから、江戸期の子ども向け絵本の流れの最終形であるとともに、近代的な絵本あるいは絵物語の源流に位置するともいえる。  尾崎紅葉(1867〜1903)は、少年文学叢書に2編執筆したが、幼年向けはこの1冊だけである。後日譚という江戸期に多く見られた方法を用いたのは、紅葉の江戸趣味というよりも、未刊に終った第3編も『舌切雀後日譚』(巌谷小波)と題する後日譚であるところから考えて、同時代の幼年向け読物のイメージを具体化したものと思われる。  1974年、ほるぷ出版より復刻版が出た。

[解題・書誌作成担当] 藤本芳則