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 近代児童文学の嚆矢と目される書物。「少年文学」叢書(全32編)の第1編として刊行。この叢書は、新興出版社として台頭してきた博文館が、教育の普及による読者層の形成や印刷技術の進歩にともなう書籍の廉価化などを背景に企画したもの。まず巌谷小波(1870〜1933)が起用されたのは、少年少女の登場する小説を書いていたからだという。ドイツ語に早くから親しんでいた小波は、「少年文学」の語は、「Jugendschrift」に由来するもので、作品は、「現代の文学界には、先づ希有のものなるべく、威張て云へば一の新現象なり」(「凡例」)と、新分野開拓への自負を語っている。  犬のこがね丸が親の仇である虎を、友人(犬)の協力を得て討つ話で、随所にみられることば遊びや、起伏に富んだストーリー、動物の敵討ちという滑稽さなどが、読者を魅了した。小波は、言文一致体を早くから使用していたが、この作品では、少年の読みやすさと誦しやすさに配慮し、文語体を採用した(「凡例」)。  反響は大きく、新聞各紙、『国民之友』『女学雑誌』などの雑誌に批評や紹介文が掲載された。なかでも、『読売新聞』で堀紫山が文体をとりあげ、言文一致体を採用すべきだったとの評言に、小波が反論した一連のやりとりは、「こがね丸(文体)論争」として知られている。また、虎が妾の鹿と宴会をする場面などはいかがかとの批判もあり、1899年8月10日発行の12版では、一部手が入れられた。このように若干の批判はあったものの、好意的な評が多数をしめた。1921年には、口語文に書き直した『三十年目/書き直し|こがね丸』(博文館)も出版。1968年に日本近代文学館より初版が復刻された。

[解題・書誌作成担当] 藤本芳則