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 牧師田村直臣(1858〜1934)が、親が子どもに読んで聞かせたり、子どもが自分で読んだりして、キリスト教の「真正の道」(緒言)を学べるように考えてまとめた童話集。田村がアメリカ留学中に知った著名な説教者 Richard Newton の著作から選び出して、自分の属する東京の日曜学校で話してみて良い感触を得た説話で構成した。  出版に先立ち、田村が友人松村介石宅で草稿を朗読すると、介石は聞くにつれて「此は妙なり、道理なり、関心なり、面白しやと、首を振り膝を打て感嘆喚呼せしこと幾十回」(序)、更に隣室で縫物をしていた介石の老母までが感激の声を上げた。二人は本書が児童の教育上大いに意義ありと確信し、介石は序文執筆を快諾したという。  十字屋はキリスト教専門の出版社で、聖書や讃美歌の外、「意訳天路歴程」等多くの図書を出版し、田村たちも早くから出入りしていた。既に田村は8編の童話を収めた「童蒙道の栞」と題する冊子を同社より刊行しており、本書はより本格的な出版だった。十字屋としても新たな分野の企画として積極的に取り組んだと思われる。  しかし、国粋主義の主張が次第に抬頭しつつある社会状勢の下、本書の読者はやはり限られたキリスト教関係者の範囲内にとどまり、更に本書刊行の4年後に田村がアメリカで出した著作がわが国で激しい社会的非難を浴び、彼が所属する日本基督協会内部での裁判沙汰となった結果、同協会から追放の処分を受けた。これも本書重版の大きな妨げとなった。  わが国の児童文学史上から見れば、有名な巌谷小波の『こがね丸』よりも数年先行する童話集であるばかりでなく、家庭での音読を前提にしてルビにも十分配慮した、非常に分り易いなめらかな言文一致体を用いていることは、大いに注目に値する。一般によく知られている若松賤子「小公子」の『女学雑誌』発表より1年以上早く、ずっと現代的な文体であった。この歴史的意義は大きい。

[解題・書誌作成担当] 藤本芳則